ひねくれ者が膿出す「ぶうじょいだ」

テリアバークスの戸倉です。


本日、出たら芽が「ぶうじょいだ」という曲をリリース(無料配信)した。


「ぶうじょいだ」は「大丈夫」。


出たら芽は作家の菜象(木村菜緒)が何の制限も無く自由奔放に書いた曲を初音ミクなどボーカロイドに歌わせているプロジェクトでもありユニット。


この「ぶうじょいだ」は歌詞を逆に歌わせている異色の作品。


そしてこの作品をどこまで理解して貰えるか?


特に菜象が木村菜緒として活動している環境では「なんだこりゃ?」となるだろう。


しかしこれ、私たちテリアバークスのミュージシャン、スタッフにとっては最も楽しめる作品だ。


歌詞、所々で耳に居座る言葉がある。


この曲では「リモウコ」、「ガナロコ」、「タガンシモレソ」、「ゾイバヤ」、「デナンミ」、「ウショマイニチウオ」、そしてタイトルの「ぶうじょいだ」だ。


これ、反対に読んでみると分かる言葉だが、この響きの方が「良いじゃない」と思う言葉もある。


「コロナが」と言えば言葉の輪郭がハッキリするが、「ガナロコ」にメロディーが付き、リズムに乗ると新鮮な言葉になって耳に飛び込んでくる。


これもありなんじゃないか?


菜象(木村菜緒)に昨夜聞いたところ、


「伝えたい言葉をそのまま使うと、言葉がそこで曲を止めてしまうこともあるし、曲を聴いている瞬間に伝える必要ないと最近思うんよね。後で伝われば良いしね。そして言葉も楽器みたいに流れても良いんじゃないかと思ったりね。そういうのもあって良いんじゃないかな。」とね。


こんな事言ってた。


そして昨夜、菜象(木村菜緒)のラジオ、〝 カフェ爺〟を聴いて思った。


昨夜は私の頼みもあって懐かしい関西フォークの特集をやって貰った。


そして木村菜緒は好きな加川良、金森幸介を中心に大塚まさじの曲をかけていた。


私が想像していた曲をかけていた。


これは木村菜緒だけでなく、私も、テリアバークスのみんなも聴いていた、今でもみんなのバックグラウンドで流れ続けている曲た。


そして曲というより歌詞、言葉だ。


木村菜緒は若い頃は吉田拓郎はまだしも、かぐや姫、さだまさし系統のフォークは全く聴かず、アングラフォークとも呼ばれていた関西フォークだけを聴いていた。


それは「愛」、「恋」などのテーマを取り上げることに照れ臭さを持っていた連中の音楽。


しかしこの関西フォーク、加川良、高田渡、西岡恭蔵、金森幸介の作品の歌詞には独特な世界があり、聴き始めたらこの世界に閉じ込められてしまう。


木村菜緒がラジオで、加川良の「知らないでしょう」の歌詞で、

「男は頭で恋をして 女は夜を知りすぎている」

という歌詞を取り上げていた。


この言葉を高校生の時に考え始めたらどうなる?


そして木村菜緒が金森幸介の「悲しい日々」を何度も何度も聴いて家に閉じこもっていた日々。


私はその頃に木村菜緒に会った。


正直に言って、ひねくれた奴だと思った。


完全に自分の世界で生きていた。

ブルースやソウル、ジャズしか聴かないと言うのは、実はこれらの音楽を盾にして自分を見せたくないと思っていたのではないだろうか?


あれから約三十年、木村菜緒は積極的に歌詞を書いて曲を生み出している。


そう昨夜、木村菜緒にこの「生み出している」という言葉をメールで伝えたら、「字がちゃう。膿出しているやよ。」と言ってた。


やはり今でもひねくれている。


しかし本当に彼にとっては「膿出している」のかも知れない。


若い頃は、加川良、高田渡、金森幸介、西岡恭蔵などの作品の歌詞に相当閉じ込められていたのだろうと思う。


その頃に化膿した心の膿を出しているのが今の木村菜緒なのだ。


そして言葉を素直に伝える事さえも抵抗があるのだと思った。


だから「ぶいじょうだ」なんだ。


新型コロナウイルスで閉じ込められる事、それを昔聴いた音楽の歌詞に閉じ込められていた自分をダブらせて書いたのがこの「ぶうじょいだ」だと木村菜緒が言っていた。


そしてもう「ぶうじょいだ」だそうだ。


彼にとっては自分の事だから大きな意味があるが、他人にとってはどうでもいいこと。


だから歌詞を逆に歌わせているとも言っていた。


曲ってのは自分にとっては大きな意味があることでも、他人にとってはどうでも良い事も沢山ある。


「ぶうじょいだ」は木村菜緒にとってはそんな曲なんだろう。


しかしこよりがこの曲にユニークな映像を付けている。


その映像に見えたこより。


こよりと言うアーティストも相当何かに閉じ込められて生きてきたのだと思った。


前作の「動物園」で描く動物。


色使い。


やはり閉じ込められた世界から生まれている。


悪い言い方をすれば素直な映像じゃない。


しかしそれがこの出たら芽の作品に合っている。


テリアバークスの奥寺氏が、

「時代を直視していない奴の集まりがテリアバークス」

と言っていたが、本当にそうなのかもしれない。


そしてこういう連中は面白い。


何かを見つけたらそれをただては放っておかない。


先日、天埜めぐみがたんぽぽの綿毛を保存するのか飾りに使うのか知らないが、たんぽぽの綿毛をヘアースプレーで固めてしまうと言ったことに対して、テリアバークスのみんなが夢中なってたんぽぽを探していた。


木村菜緒はたんぽぽがかわいそうだと言っていたそうだが、そのたんぽぽの綿毛をみんなは欲しいと思ったのは事実。


そしてこの事によって道端に咲いているたんぽぽを改めて見る機会を作ってくれた。


今の時代を直視する事によって見えていない、見忘れている事が多すぎる。


最後に木村菜緒が言ってたが、「ぶうじょいだ」は本当は「ぶうじょいだ?」なんだと。


自分はやっと解放されて「ぶうじょいだ」だが、メッセージとしては今のままで本当に「ぶうじょいだ?」と投げかけている事もあると言っていた。


「ぶうじょいだ」はひねくれ者が書いた曲。


そのひねくれ者、まだまだ膿出して行くだろう。


奥寺氏がおもしろいことを言っていた。


この「ぶうじょいだ」は先日、宮城県や福島県の周辺で目撃されて、いまだに何かわからない「ずっと空に浮かんだままの風船のような白い物体」みたいな感じで聴いてくれ!


と・・・。


たしかに!


ひねくれ者が書いた「ぶうじょいだ」聴いてください。


テリアバークス

戸倉








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